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エーゲ海の風音
外地での単身生活はや1年半。楽しかったのは最初の半年。自由な生活は学生時代の生活を思い出させてくれた。若返った。独身万歳だった。
だが、半年を過ぎて新しい環境に慣れて刺激が無くなるともういけない。以前から単身赴任反対論者だった私の考えに誤りがないことを再認識した。やはり家庭があっての仕事であり、海外での家族団らん、学校、近所との交わり、買い物、週末の家族との小旅行等があってこそ、海外勤務は楽しめ、人生の思い出にもなる。思えば以前のアメリカでの2回の勤務は本当に楽しかった。それに比べ今回のこの欧州勤務は……。
これでいかんと考え直したのが1年前。企画・戦略畑を歩いてきた私としては、自分の単身赴任生活の戦略もなく過ごして来た半年が恨めしく思った。まあそれだけ初めて住むヨーロパを楽しんでいて刺激も多かったから、真剣にどう一人身をすごしていくか考えもしなかったのだろう。オフィスにいる間は単身も家族連れも関係がないので、残る問題は2点。一つは夕食をどうするか。もう一つは土日やウイークデイの夜をどう過ごすかである。
最初、夕食はケルンやデュッセルドルフに何十とある日本レストランを毎日はしごでもしようと思い、数日試してみたけれど、やはりテーブルや寿司カウンターに一人座って食べるのは味気なく、思い切って毎日自分で料理する事にした。
日本から一週間おきに送ってもらう8mmビデオを見ながら、一人食事していると、日本で家族と食事をしていてもTVを見ながらという時が多かったから、昔に戻ったような気になった。TVのニュース等が1週間遅れているだけで、これは我慢できた。食事を作るのに毎日30分以上かけないことにした。学生の時以来の自炊生活であり30年ぶりに料理を毎日作った。料理を毎日作ることで最初は考えてもいなかった3つの楽しみが付いてきた。
まず限られた手持ちの材料で毎日どう変化をつけるか。これは人間の創造意欲をかきたてるもので、主婦は毎日毎日こんな楽しみをやっていたのかと羨ましくなった。但し,皿洗いはいやで、これは歯を食いしばってやっていた。やらないと次に使う食器がないから。夫婦共稼ぎでも奥さんが料理を作って、夫が皿洗いをすると言うのは、アンフェアだと思ったりした。
次に自炊をすることで楽しめたのは、八百屋さん、魚屋さん、肉屋さんでの買い物だ。最初は品物を指して、一つとか二つとかしか言えなかったが、これでは楽しくないとドイツ語会話を思い切って習うことにした。難しい文法等はあまり意識しないで、買い物に必要な会話だけに絞って教えてもらった。片言のドイツ語でも、大根や,鱒やフィレ肉を買うたびに、お店のおじさんやおばさんとかわす会話は心弾むものだ。この東洋人は難しいドイツ語を一生懸命に習って話そうと努力しているんだな、と相手は好意的に取ってくれ、一言もしゃべらなかった時に比べて、愛想がよくなった。ある時は、これ持っていけとプルーンを一袋無料でくれたりした。
職場では、英語が公用語だし、特に生活に必要性がないので、難しいドイツ語には取り組む気が全くなかったのに、自炊を始めたおかげでドイツ語会話を曲がりなりにもする気になった。、土地の人との会話が一番その文化を吸収するのに良いのは、私の持論だったし、分かっていたのにそれを放棄しようとしていたのを自炊生活が救ってくれた。
もう一つ自炊で見つけた楽しさ。それは遠来の日本からの友人や近くのドイツ人の友人に、手料理を出す楽しさを知ったことだ。30分位で3〜5皿の料理を出すと,皆びっくりしてくれるし、味もそれほど悪くはないらしい(?!)。手料理で友をもてなす楽しさを知っている男性は世界中でもごく少ないだろう。女性はこんな楽しみをずうーと持っていたんだなあ。ともかく自炊生活を通しての思わぬ効用に助けられて、ヨーロパでの単身生活も何とかやってこられた。毎週水曜日と土曜日にひらかれる近所の広場での朝市の買い物は、生活にリズムを作ってくれるし、時々日本から泊りで訪ねて来てくれる友人達への観光コースにこの朝市はもちろん入っている。私の生活を知ってもらうためにも。
さてさて土日をどう過ごすか。友人達は家族持ちなので誘えないし、誘ってもらえない。友人の奥さんをゴルフウイドウにしたくもない。そこでいろいろと考え試行錯誤の結果、車のトランクに靴を5
足入れておくっ事になった。
その5足とは……。テニスシューズ、ゴルフシューズ、ボーリングシューズ、ダンスシューズ、ウインドサーフィンシューズの5種類の靴が毎週毎週活躍してくれている。土曜日は12時からテニスのレッスン。夜7時から社交ダンスのレッスン。月曜日はよる8時からケルンのボーリングリーグの試合。日曜日は早朝に起きてベルギーまでゴルフに行くか、オランダの海までウインドサーフィンに行くかのどっちか。とにかく土日は休む暇も無く忙しい。これに加えて週2回、夜にドイツ語会話のレッスン。とにかくどちらかというと活動的な私としては、これくらいのリズムをつけて生活しないと、孤独感に襲われてしまいそうになると思う。これだけからだを動かしておくと、単身赴任の最大の敵である健康問題も何とかなるだろうと思った。
月に1週間ほどヨーロパの各地への出張があるが、出張から帰ってくると体がなまっているのを感じる。そんな時は空港から家への帰り道に、ボーリング場へ寄り、車からボーリングシューズとマイボールと着替えとを出して、一汗かいてからサウナへ行ってアパートに着くことが多い。アパートに着いたらもう真夜中でバタンキューである。
こんな生活をしている中で、この夏にハタと考えた。こんなにあくせく生活していて、ヨーロパの優雅なのんびりした奥深い生活やカルチャーが分かるのだろうかと。私の生活はあまりにも日本的又はアメリカ的過ぎるのではと思った。そこで思いきって二つの仕事上の会議を欠席して、ギリシャの小島へのウインドサーフィンの旅に出ることにした。いわゆるヨーロッパ的バケーションである。本来は2
週間のを、半分の1週間の旅にした。ドイツのウインド仲間が格安のウインドサーフィンパック旅行に誘ってくれたので乗ってみた。
小さなホテルが一軒しかないエーゲ海の小島だ。1週間のんびりと波と風とにたわむれる旅だった。地図でその小島のあたりを調べると、アフリカのカイロとトルコのイスタンブールのちょうど中間地点にあった。30人くらいの宿泊客と島の数少ない現地人とは毎日顔を合わせるので、すぐ顔なじみになってしまった。ホテルのレストランの男性が、朝海にもぐってヤリでとって来たいろいろな魚を籠の中に入れて、どれを今日は食べたいかと聞いてくれる。アフリカの方へ向かってウインドサーフィンで少し沖に出ると、海は青く濃くこれぞマリンブルーの色なんだと思う。島の人々の生活は質素であり、それを見ていると遊びに来ているわれわれの気持ちをよい意味で引き締めてくれる。
白い砂浜でトップレスの女性たちが波と戯れているのを見ていて、ついその二週間程前にパリのルーブルで見たミロのヴィーナスを思い浮かべた。美しかった。空の青と水の青緑。砂の白と女性の素肌。まるでミロのヴィーナスが生きて動いているようだ。ふと思った。パリにいるあのヴィーナスは、生まれ故郷のこのエーゲ海に戻りたがっているだろう。この太陽の下で、この空の下で、この海とこ風に触れたがっているだろう。ここで見るミロのヴィーナスは、きっとパリで見る以上に生き生きとした顔になっていると思う。2000年も前に生まれたこのエーゲの海に戻してやりたい。
浜辺でハイネケンを飲んでまどろんでいる間に、ミロのヴィーナスをエーゲ海の島に帰そうとの声が世界の各地で沸きあがる夢を見た。数百年後には、案外実現するかもしれないと思った。それが自然だから。
完
1994年11月
ドイツ・ケルンにて
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